こんにちは!
本日選手ブログを担当します背番号4番の西田幸太郎(にしだこうたろう)です。
これまで自分のことを知ってもらうために幸せ太郎紹介ブログを書いてきましたが、まだまだしつこく僕のことを知ってもらおうと思います。笑
さて本題ですが、みなさんの人生において人生の分岐点と言えるようなターニングポイントはどんなタイミングでしたか?
進学、就職、恋愛、結婚等いろんな場面において決断が迫られる瞬間は誰でも訪れると思います。
僕にとって今回のデウソン神戸加入はそのような人生のターニングポイントとなるような決断の瞬間になったんじゃないかと感じています。
今回はその決断に至るまでの話をしようと思います。
デウソン神戸加入にあたって各メンバーはそれぞれの想いや目標を胸に加入してきています。
僕もその1人ではあるのですが、正直数ヶ月前までは自分がデウソン神戸に加入することになるなんて思ってもいませんでした。
なぜそんな僕がデウソン神戸加入を決断したかと言うと、過去の挫折ときっかけとなったある出来事があったからです。
過去の挫折については、中学3年生の頃。
当時どこにでもいるようなサッカー少年だった僕は地元である熊本県の玉名市立玉名中学校(以下、玉名中)のサッカー部に所属しており、最終学年になって中学校生活の集大成となる中体連のサッカー大会に出場しました。
全国大会出場を目標に熊本県予選から玉名中サッカー部は順調に勝ち進め、熊本県大会を優勝することができました。
確か当時の玉名中サッカー部としては、中体連の県予選優勝は初の快挙だったと思います。
県予選を優勝した僕らは九州大会に出場しました。2回勝てば全国大会出場が決まるというレギュレーションでしたが、惜しくも1回戦敗退。
目標にしていた全国大会出場とはなりませんでした。
試合が終わった時のめちゃくちゃ悔しかったのは今でも覚えてます。
この時から全国大会出場は僕のサッカー人生の中での目標となっていました。
また、この時に熊本県の選抜(通称、県トレ)に選出していただきました。
県内の強豪校やクラブチームから集まってきた上手い選手たちが集まり選抜活動に参加していましたが僕はベンチ外。
当時僕もプロを夢見るサッカー少年でしたが、ここで県内トップレベルの選手たちとの違いを見せつけられ、当時身長も小さかった僕は大きな壁のように感じ中学3年生ながら大きな挫折を味わいました。
10年以上経っておりますが、この全国大会出場の目標と中学3年生での挫折からまたサッカーを続けていきました。
ここからデウソン神戸加入のきっかけとなる出来事がありましたが、また次回のブログの時に話そうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
先日の開幕戦では惜しくも勝利とはなりませんでしたが、下を向いてる暇もないので次に向けて準備や調整を行っている最中です。
次こそ勝利を!!
次はF1を経験している選手が多く在籍しているエスポラーダ北海道戦です。
そして6/15はホーム開幕戦となります。
ホーム開幕戦では1000人プロジェクト『神戸を緑に染めろ🟢』をスローガンにたくさんのイベントをご準備しております。
推し活やクラウドファンディング等もHPに掲載中です。少しでも多くのご支援をいただけるよう選手やスタッフ一同日々奮闘しております。
そちらもどうぞ宜しくお願いします!!
今後もデウソン神戸と幸せ太郎の応援宜しくお願いします。笑
ではまた。
#4 西田 幸太郎